<むねお・レジェンド>
選挙ステーションで大ブレイクした、野中幹事長の飼い犬側近にして、自民党次世代総裁候補、鈴木宗男氏の素顔に迫る!!ネット上で調査した鈴木宗男伝説を、いまここに大公開!!
中選挙区時代、宗男の選挙区は北海道5区。
帯広・北見・釧路・根室など全てが範囲で面積は四国よりも
広い無茶苦茶な選挙区であったが、こんな選挙区こそ宗男の 馬力が生かされた。
主要都市は宗男のライバル中川に押さえられているため、誰も住んでいない山の中を宗男は駆け巡る。
移動に使うボロ車のスピードは余裕で150キロを超え、松坂の速球など目ではなかった。警察に何か言われても例の大声で「私は鈴木宗男だ!」と一喝して通りすぎて行った。
昔の宗男の演説は決まっていた。実はあれでも昔に比べれば洗練されているのだ。あの田舎者丸出しの大声で
「昨日、釧路の後援会の●▲が死んだ。鈴木を頼む、鈴木を
頼むといいながら…」
演説開始、10分目で泣き始める。それにつられ信者のおばち
ゃん、おじちゃんが手を合わせて泣き始める。そして湧き上
がる宗男コール。
宗男は土下座しながら泣く。「私を男にし てください!」一種の名人芸だ。
そしてボロ車でかっ飛ばし、違う場所で全く同じ事をやる。
昔は「宗男のおにぎり」というものがあった。
宗男事務所のおにぎりの中には5千円札が入っているというものだ。
それを報じたテレビ局に宗男本人が抗議の電話、「5千円じゃないぞ!1万円だ!」
抗議内容はウソだろうが本人がすぐに抗議の電話をしたのは
事実らしい。
「宗男のおにぎり」の他にも「宗男のサンドイッチ」「宗男のコーヒー」「宗男のストロー」などがある。
どうやってストローに札を忍ばせるのか…。
さすが宗男だ。
おおおお。鳩山に嫌み言い始めたよ、このアホの坂田。
野党第1党の党首が2日がかりの当選だって。
自分が比例1位で当選してるのをかんがえたら、まさに心に巨大な棚をお持ちですな。
鈴木宗男、前に千歳空港で雪のために飛行機が飛ばなくなったとき、JASの職員を怒鳴りつけてたのを見たことある。
「おれは鈴木宗男だぞ!」って確か言ってた。
たしか沖縄でもほざいてたな
沖縄に振興策(=ゼネコン)をもたらしている偉大な政党は自民党だ とかほえてた
。
昔、芽室に住んでました。
中川さんが札幌グランドホテルで首つり自殺した後の選挙で当時たくぎん行員の息子と議員秘書が対立して両方とも立候補・・・
私は小学生高学年・・・元秘書の選挙カーが目の前を通りました。
彼は車から身を乗り出して、
「仕事を持ってきます。仕事を持ってきます。」と叫んでました。
子供心に国会議員って国の仕事をするものだと思ってたので、その言葉に驚いたのを鮮明に覚えてます。
数年前の朝生で、意見を聞かれるたびに「橋本先生が・・橋本先生が・・・」を
繰り返し、田原はもちろん、学生にまで馬鹿にされる始末。半べそかいてました。
この頃から自民党筆頭馬鹿とみていましたが、この後も度々登場。
「小渕先生が、小渕先生が」「森先生は、森先生は」と繰り返し、いよいよ自分の
番なのか「野中先生が、野中先生が」だとさ。うーん、こんなのが首相になるとは。
日本脱出も本気で考える必要がありそうだ・・・。
マスコミには結構評判がいいらしい。
やたらリークをしてくれたり、取材のその場で官僚に電話をして
いろいろ聞いてくれるらしいから便利なのだそうだ。
むねおが防衛次官の時ドカチンのパーテイーで神輿に乗って出てきた。
大半の人が笑っていた。
彼と言えば、週刊文春6月15日、霞ヶ関の官僚、各省庁から満遍なく票を集めた、
「落選させたい議員、ダントツ一位はこの人!」ですね。
一般の有権者には馴染みが薄いかもしれないけれども、
野中幹事長のカバン持ちで、現在のところ飛ぶ鳥を落とす
勢いなのだそうです。
・二言目には、クビにするぞと恫喝して利益誘導を行う。
・国家の私物化を図ろうとしている。
・自分の選挙区の票を集めるためなら、どんなに理屈に
合わないことでも役所がやるべきと押しつけてくる。
北海道開発庁長官の時には、個別案件にまで口を出していました。
長官室で土建業者に向かい、指を三本つきだしたとか。
30億円の案件だったのでしょうか。
「自分が聞かされていなかったという理由だけで、意味もなく
施策内容の変更を迫り、
従わない場合は予算、人事当局への徹底的介入により、服従と追及、本人に対しても頭ごなしに
怒鳴りつけ、その場で人事責任者に電話をするなど、恫喝も限度を超えている。
利権がからむ案件には、嗅覚が鋭い」
「下品。特に欧米と外交させてはならない。日本の品位が
問われかねない」
「私利私欲がはなはだしい。他議員の妨害を役所にやらせようとする。
例えば某議員の○○の許可はするな、予算を減らせ、など。政策論議は一度も聞いたことがない」
など、ですね。
北海道で鳩山が苦戦したのも、野中の意向の下、鈴木宗男が役所に無理を言って、予算をエサに利益誘導を
計ったためか!?
宗男の尊敬する人は豊臣秀吉。
秀吉は日本三代音声と言われたくらい声の大きい人だった
そうで、生い立ちといい小さくすばしこく動き回るとこといい共通点がないわけでもない。
宗男もいつの日か天下をとることを勝手に夢見ているのであろう。
墨俣に1夜で城を作れといわれれば、土建業者を総動員して作りかねない>からな宗男は。
きっと野中の草履も毎日、胸であたためているぞ。
いつの間にか、『むねむね会』なるグループまで作り、若手議員を集めて夢のようなことを語っているようだ。内部の話しだと総理を目指しているんだと。
お前さん馬鹿かと言いたい。
十勝では「中川一郎殺し」とレッテルを貼られていた宗男。(事実という声もあるが)
中川の長男・昭一も同じ選挙区から出ており、昔は選挙にあまり強くなかった。
地元のマスコミは(もともと北海道は旧社会党の牙城で自民党はあまり強くない)
こんな下品な奴を議員にしたら北海道の恥ということで、「宗男は落ちる」「宗男はダメ
だ」と報道しまくっていた。
おにぎりを配り巻き返すも選挙日前日の夜、票読みを行なった結果、当選までどうしても500票足りなかった。
意を決した宗男。
500票持っているといわれた神社へ直行。
「私は神様を信じております!」と大きな声で叫び、500個のおにぎりをお布施したのであった。
すると翌日の選挙では見事に500票差で当選。
とても信じられる話ではないが「宗男ならありえる」と
思わせるところが凄い。
宗男は現在は野中の腰巾着だが、その前は金丸の腰巾着だった。
誰が権力を持っているかを見分ける嗅覚には凄まじいものがある。
金丸の家に毎日通い、秘書兼ボディガードになって取り入った。
当時、同じように金丸の家に通っていたのがハマコー。
金丸・宗男・ハマコーの3ショットは凄すぎる。
そして盟友松山千春と宗男の仲は想像以上に深い。
前回の選挙ではフルマラソンに挑戦して、腹を抱えて笑わせてもらった。
宗男こそ真のエンターテイナーだ。千春以上だ。
宗男と千春が衆道かどうかはわからない。あまり想像もしたくないけど。
宗男と松山千春の関係は出身が同じで足寄高校の先輩・後輩からはじまる。
秘書時代から知り合いだったらしく、宗男のはじめの頃の選挙から応援に来ていた。
しかし宗男は中川殺しと評判が悪く、とある街頭演説でも
「中川の息子が出てるのに何で出るんだバカヤロー」などの
罵詈雑言が投げかけられ騒然となった。
宗男は大声で「私は鈴木宗男です」と胸を張って答え、罵詈雑言は静まった。
それを見た千春は「こいつは男だ。俺が男にせねば」と思い必死に宗男を応援した。
マスコミに叩かれまくった宗男が当選しつづけたのはおにぎりの効果もあるが、松山千春の応援も大きい。
宗男がライバルの中川昭一よりも早く念願の大臣になった時、
千春は「宗さん、ここまで来たね」と2人で抱き合って喜んだそうな。
それを聞いた、地元の宗男信者はみな涙を流した。
宗男は横路に牛耳られていた北海道を自民のものにするため
千春を知事にしようとしたことさえある。
宗男の政権構想に民間枠で千春は決まりだ。
宗男がすぐに人をぶん殴るというのは事実で悪い癖です。
困ったことに一応、大臣までやり派閥の幹部になりつつあるのにいまだにすぐに人を殴っちゃうことです。
もっともアウストラロピテクスが時空を飛び越えてやって来たようななもので、
野性味あふれる人(猿人?)なのですから仕方がないかもしれません。
最近ではこんな例があります。小選挙区制が導入され宗男は選挙区調整で地盤の帯広を追われた。
さすがの宗男も帯広での影響力低下はさけられず、永遠のライバル中川の影響力が増していた。
そして統一地方選挙で宗男派の議員が中川派に寝返った時、宗男の怒りが爆発した。
その道議会議員を呼びつけあの大声で「何を考えているんだ!!」と恫喝。
そして殴る蹴るの暴行をはじめた。
当時宗男は現職の大臣だったと思うが、大臣が激怒して怒鳴ることはあっても、本当にぶん殴るのは宗男
ぐらいだろう。
金がもらえると思って気軽に「むねむね会」に入った代議士先生。
抜ける時は覚悟が必要。気をつけてね。
農産物の一部自由化が決まった時、宗男の地元・十勝では農協などによる大反対決起集会が行われていた。
田舎では農協票の取り込みは必須。
ここで農協のオヤジのハートをがっちりつかむかが焦点となっていた。
集会に招かれた国会議員は永遠のライバル中川と宗男。
まずは中川の演説からだった。その日はあいにくの寒さで氷点下20度はいっているのではないかと思われた。
東大出のインテリ中川。
コートを何枚も着込みいかにもお義理で「自由化には反対であります」とぼそぼそと述べた。
対して宗男。
まずは背広の上着を脱ぎ捨て
「外は寒いが私の気持ちは熱い!」と大声で叫び
「輸入自由化に対する気持ちで私の心は怒りで燃えているんだ!」
氷点下20度の中、服を脱ぎ捨てとっつぁんシャツ一枚に宗男。
「やっぱり宗男センセイだべ」と農協のオヤジのハートをがっちりつかんだ。
実は宗男、石原慎太郎と裁判を起こしている。
中川一郎が死んだ時の政治資金の分配を巡って、中川グルー
プの代貸し石原と中川の筆頭秘書の宗男のどちらがその政治資金をゲットするかということであった。
結果がどうなったのかは覚えていないが、ほとんどの代議士は石原に有利との見方を示していた。
そんな中で宗男を応援した連中が浜田幸一と松田九郎であった。
類は友を呼ぶとはこういうときのためにある言葉だ。
四国より広い選挙区で山の中まで駆けずり回っても、おにぎりを配ってもいつも最下位の方の当選で、選挙が弱いのが宗男の悩みだった。
地盤・看板がない(金だけはどこからか調達してきた)所が弱みと見た宗男。
有名人への接近をはかった。
ターゲットとなったのは元横綱・千代の富士(現九重親方)。
中川一郎の秘書時代から北海道出身ということから付き合いがあり、
松山千春が千代の富士と親友ということで食いこむのに成功した。
千代の富士優勝の記念の集合写真になぜか写っている宗男。
後援会には千代の富士の手形サインがばら撒かれ、桝席までもらう輩まで現れた。
若き日の貴花田、貴闘力に敗れ引退を決意した千代の富士。
「潔い引退」「大横綱」とマスコミが提灯記事を垂れ流す中、宗男は千代の富士の挨拶回りに常に横にいた。
単にテレビに映りたいからである。
地元では「さすが宗男センセイ、テレビにいっぱい出ていたべ」と評判になった。
松山千春と千代の富士は同い年で親友。
テレビドラマ化された「千代の富士物語」では主題歌を松山千春が歌った。
宗男・千春・千代の富士は北の鉄のトライアングルとも呼ばれている。
宗男は今は外務省の利権あさりに熱心だが、当時は防衛政務次官をつとめ選挙のためにも防衛族を狙っていた。
政務次官任期中に駐屯地を100個以上視察するという新記録を達成。
四国より広い選挙区を駈けずり回った宗男にとってちょろいものであっただろう。
その際に使ったのが北勝海。視察に同行させると娯楽の少ない地方の駐屯地では喜んでもらえた。
さらに宗男は役人を恫喝して自衛隊員の処遇改善をし、PKOでも裏対策を実施。
兵器の選定や防衛施設庁の公共事業の発注権を握り防衛族としての地位を確立した。
テレビ朝日の開票速報に出ていたムネオちゃん、イラ菅(菅 直人)とのやり取りまったく笑えた。
自民党の次期首相のホープだわ!
他局でも森田健作を新井将敬があんなことにならなければ、奴は参議院で終わった人間だとほざいていた。
それを聞いた森健激怒、これからが楽しみだ。
そう言えば奴も中川一郎が自殺しなければ、今でも鞄持ちか足寄町の町会議員でもしていただろう。
何もわからないムネオちゃんいや益々期待しちゃうよ!
以前六本木の防衛庁本庁で勤務していましたが、この輩の評判はただの馬鹿だそうです。
とってもハイランクの上官がこの馬鹿に軍事関連のブリーフィングを行ったところ、出てくる質問はピントボケか全然関係のないことばかりだったそうです。
背広組の方からもただの馬鹿とすごく軽蔑されていました。
以前埼玉県所沢市の騒動で自衛隊が所沢産の野菜を買えばいいと非公式に発言し、隊内から俺達はモルモットではないとすごく反発の声が上がっていたのを覚えています。
こいつは自衛隊の代弁者と自称していますが、すごく迷惑です。
こんな阿呆に代弁されているかと思うと自衛隊も国民の不信の対象になる日も遠くないようなきがします。
それどころか世界にさらす日本の政治家の恥だ。
「お前らには愛国心がねえのか。この売国奴めが」
酔っ払いが道行く若者に毒づいているのではない。これは自民党幹部が、外務省のトップに対して、公の場で面と向かって口にした言葉である。
舞台は昨年暮の自民党外交部会。
「鈴木宗男先生(前官房副長官)が、部会の開始直後にいきなり立ち上がって、“チェチェン問題に対する日本の姿勢はなっとらん”と、のっけから物凄い剣幕で怒鳴り出したんです」と、出席したある議員。
「そう、怒鳴り声でした。反対側に座る外務省の川島次官と東郷欧亜局長を見据えて、延々とがなり立てていた印象しかない。外務省側も辟易したでしょう」
その怒りの理由は何か。同じ日、河野外相はドイツへ向かう予定だった。目的はG8に出席すること。
「日本はそこでチェチェン侵攻に対する新しい見解を表明する予定でした。“他国の内政には干渉せず”という立場を捨て、“人道的に遺憾”と欧米に倣うことにしたのです。領土問題の話合いのため、ロシアを刺激しないよう気遣うあまり、日本が孤立する恐れがありましたからね」(事情通)
どうやら、これが面白くなかった鈴木氏は、
「内政不干渉の原則維持を曲げるとは何事かと、ほぼ1時間も長広舌を揮った末に、部会長が“そろそろいいのでは”と割って入ったところ、“お前は先輩議員に黙れというのか”と睨みつける始末」(別の議員)
あくまでロシアとの交流継続を訴える姿勢に、多くの関係者は「利権の絡み」を感じ取っている。
「あのね、他の議員が何か変な話を伝えてるんじゃないの。あれは叱責でも恫喝でもない。議論そのもの」と、鈴木代議士ご本人。
売国奴発言については、
「私はねぇ、国益のことを話したんですよ。結果的には、私が主張した通り川島次官が河野外相に伝えて、どうにか“内政不干渉”の姿勢を保つことができた。でなければ、プーチン大統領誕生と同時に日ロ関係は終ってたはずですよ」
北方領土に関わる商行為は「一切ない」と仰る。
「他の政治家から“うちの会社でどうか”と頼まれることが多いくらい。おたくが色々な議員の話を聞くのは勝手だが、私のことが気に食わず、おかしな目で見ている連中もいるでしょう」
現実は、“そんな連中”が多数派だったりもする。
「21世紀の総理は鈴木宗男だ!」−10月下旬、自民党総務局長に就任したばかりの鈴木宗男を囲んで、若手議員の一人が威勢の良い声で乾杯の音頭を取った。
国会議事堂の赤絨毯を目指して国会議員になった以上、総理の座は究極の目標だ。
自民党議員を囲む主席ではよく見かける光景だが、この時、鈴木は丸い顔に笑みを浮かべ、満面に闘志をみなぎらせた。
北海道選出議員の中では、自民党道連会長の町村信孝(前外務政務次官)が21世紀の首相候補の一人にあげられる事はあるが、同期当選の中川昭一(前農水相)と鈴木がノミネートされた事はおそらく一度も無い。
しかし、拓大在学中に同郷のやり手政治家だった故中川一郎(元農水相)の「押しかけ秘書」になって以来、
「政治家になり、総理大臣になる」夢を密かに持ち続けているに違いない。
「決して見果てぬ夢ではない。永田町は戦場だ。
野望に見えても、八分の努力と二分の運があれば最高位に上り詰める事が出来る」−と、
鈴木を秘書時代から知る老政治記者は永田町の修羅場をひとつひとつくぐり抜けている
木の凄まじいまでの闘争心を「衰退した政治を建て直すきっかけを作る一人か、
単に古いタイプの政治屋か」とじっと観察している。
「鈴木と俺とはセットだ。鈴木をくれなければ、俺はやりたくて幹事長代理を受けたわけではないので辞める」
−野中広務(前官房長官)は森(喜朗幹事長)にこうすごんだ。
この一言で、鈴木の官房副長官から総務局長へのコンバートが決まったといてよい。
野中−鈴木のコンビは橋本政権時代に幹事長代理−副幹事長の形で始まり、
総裁選後の内閣、党役員人事までは官房長官−副官房長官であり、
野中が党内で頭角をあらわす時期と符合している。
年齢は74歳だが、当選6回の野中は当選10回以上が4人もいる
小渕派内の序列から言えば、中堅に過ぎない。
その野中がのしあがってきたのは、竹下(登元首相)の「虎の威」をフルに利用したほかに、
「野中と鈴木の当選回数を足すと11回になる。2人で長老1人の計算さ」
(小渕派中堅幹部)と言われるほど鈴木の役割は大きい。
日の当たる場所を歩むこの2人には小渕派内にやっかみ半分の反発が根強い。
10月中旬に党本部で開かれた小渕派臨時総会は記者団に異例の非公開だった。
冒頭、同派副会長で野中に幹事長代理ポストを奪われ、
「勝手にやればいい」、「鈴木は若手議員に100万、200万と配っている」と、
記者団にぶちまけた村岡兼造がたちあがった。
「先日の至らない発言を深く反省している。鈴木さん、一年生の皆さんに迷惑を掛けた事をお詫び申し上げる」
と深々と頭を下げた。
実は、綿貫民輔(小渕派会長)ら幹部はこの件をもっと穏便に済ませる腹だった。
ところが、この2日前に開かれた会合で鈴木が、
「まだ決着していない事がある。(村岡発言では)若手がかわいそうだ。」と口火を切った。
綿貫らは「小渕政権を支えるため結束してやっていこう」とかわそうとした。
しかし、それまで沈黙を守っていた野中が「そんな簡単な問題ではない」
と、村岡を全面陳謝に追い込んだ。
こうした野中・鈴木の連係プレーを面白くなく思う勢力からしばしば不仲説が流れてきた。
その一つが、「鈴木は地元北海道はもとより沖縄を含む全国に講演会を組織している。
野中はこれまで大目に見てきたが、地元京都にも鈴木後援会を作った事が逆鱗に触れた」といううわさだった。
しかし、今回の総務局長就任劇に見るように、
2人のコンビはますます堅固になっているとさえ言える。
早ければ、1月にも行われる総選挙を取り仕切るのは、幹事長代理の野中と総務局長の鈴木だからだ。
9月の自民党総裁選で総裁再選を果たした小渕(恵三首相)にとって、
次の目標は解散権を行使して、総選挙を勝ち抜き第二次小渕内閣を樹立する事に絞られた。
小渕が官房長官を辞めたばかりの野中を選挙対策総局長を兼務する
幹事長代理を兼務する幹事長代理に再び起用したのは、
これまで数々の選挙を仕切ってきた野中の辣腕に期待したからだ。
そこで党役員人事で三役以上に焦点となったのが選挙対策実務を担当する
総務局長だった。小渕再選をいち早く支持し、小渕からの政権禅譲に政治生命を懸けた
森は、森派の尾身幸次の留任を強く求めた。森は幹事長に留任したものの、
選挙対策の実務を小渕派コンビに仕切られては、選挙対策責任者として、
候補者の公認や選挙資金の配分で力を発揮できない。
さらに、これまで確保していた総務局長ポストを手放す事になれば、
幹事長や派閥会長としての力量が問われる。
森は「尾身君は何ら失点が無いばかりか実績を残した」と食い下がり
「総務局長は幹事長派閥から出すのが自民党の不文律だ」と徹底抗戦を試みた。
このため三役は10月1日に正式決定したが、
それ以外の主要役員人事は決まらないという異例な事態が続いた。
しかし、総裁の決断で野中の会次長代理が発令された以上、既に外堀は埋められていた。
しかも、森派をライバルししている江藤・亀井派が
「ポスト配分を派閥次元で考えるべきではない」と、小渕派にくみしたため
「森派包囲網」が完成した。
森は「これ以上こだわると幹事長派閥が一人占めしたといわれる。
人事で100点満点はない。」とあきらめざるを得なかった。
地方議員から永田町へ階段を一段一段上がってきた野中の弱点は
自治相の経験しかなく、霞ヶ関の人脈が稀薄な事だ。
その点、鈴木は中川一郎の秘書時代から培ってきた大蔵、農水省の官僚とのパイプが
あり、顔が利く。田中角栄ばりの気配り政治家だった中川は、
若手の大蔵官僚が徹夜で予算編成作業をしている深夜の大蔵省に
握り飯などを差し入れさせていた。その役目は鈴木の仕事だった。
その当時の若手が今では局長クラスの幹部になっている。
鈴木とは長い付き合いだ。持ちつ持たれつの関係になるのは自然の成り行きであろう
国会議員になってからも人脈作りに熱心で、3期続けた防衛政務次官時代に
防衛庁と全国の制服自衛官に顔を売り、大蔵官僚と並ぶエリート集団が集まる外務省に
政務次官として乗り込み、不得意であった外交にも新境地を開いた。
ただ、鈴木にとってアキレス腱は総選挙。
十勝から釧路に拠点を移し、13区の釧路、根室への公共事業誘致などに
政治力を発揮しているが北村直人の地盤を崩すにはいたっていない。
永田町での活躍を支えるのは盤石の選挙地盤を築くことだ。まだまだ前途多難だ。
衆院の北海道比例代表選出の鈴木宗男内閣官房副長官が、北海道・沖縄開発庁長官在任中の今年六月、東京都練馬区内の土地と自宅を売却し、新たに港区内に宅地を購入していたことが、二十四日分かった。閣僚や政務次官は、在任中に株や不動産取引を原則自粛するよう申し合わせている。鈴木副長官は取引の事実を認めた上で「全くの買い替えで、広告を見て取引した。地位を利用したことはない」と話している。
不動産登記簿などによると、鈴木副長官は今年六月二十四日、練馬区石神井町の約百四十平方メートルの土地と木造二階建ての住宅約百二十平方メートルを売却した。土地、建物とも四分の三が鈴木副長官の持ち分で、残りが妻の持ち分となっていた。鈴木副長官はさらに同月、港区南青山の土地約百平方メートルの建売住宅を購入。現在建物は建設中で、完成後は自宅として使う予定という。
鈴木宗男は亡き中川一郎元衆議院議員の秘書出身であるが、本書では
「彼は、政治家の秘書(特に地方出身者)では建つはずもない家を、秘書当時、東京練馬に建て(真面目な秘書なら家は建たない)平成十年官房副長官に抜擢されると、すかさず、東京の一等地、青山に大きな家を建てた。
その少し前には、地元の北海道で大蔵省から国有地の払い下げを受け、
地元での自宅を建てたことも報道された。
その上、議員宿舎をいまだに確保して、国家に返還しようともしない。これまで悪辣な政治家を数多く見てきたが、若造のくせにこれほどの悪はいまい。(中略)
いつの間にか、『むねむね会』なるグループまで作り、若手議員を集めて
夢のようなことを語っているようだ。内部の話しだと総理を目指しているんだと。
お前さん馬鹿かと言いたい。(中略)
(以上、2ch“鈴木宗男を考える1〜4”“鈴木宗男を比例復活無効で落とせるか”各スレッド及びYahoo政治掲示板“鈴木宗男を考える会”より引用)
*本文章はインターネットで流れている、鈴木宗男氏に関する風評をまとめただけのものです。当然事実とは限りません。事実か虚実かはご自身でご判断下さい。